人気作家は描いてくれない?大ベテラン起用について

70年代後半から80年代にかけて、少年週刊誌各誌は有望な若手作家が続々と出てきます。そんな中、わが少年キングは首をひねりたくなるような大ベテランが起用されていきます。

トキワ荘グループのよこたとくおは、キング創刊当初から読み切りや短編連載、テレビ番組のコミカライズで準レギュラー的存在でしたが、60年代後半から誌面に姿を見せなくなりました。

それが、73年より「タマオキくん」で再登場。75年まで地味ながら”ゴマスリギャグ”で、レギュラーの一員になりました。「おれとカネやん」の古城武司も週刊他誌ではすっかり見かけなくなった人です。

75年に誌面刷新に失敗すると、ベテラン起用はエスカレートします。60年代半ばに少年誌から消えた、堀江卓、60年代前半に大人気作家だった、関谷ひさし、赤塚不二夫登場前のユーモアマンガ(まだギャグマンガという言葉はなかった)で全盛期だった山根あおおに、さらにコミカライズの大家の一峰大二も読み切りで登場と、購読しはじめたばかりの少年読者には聞いたことも無い「巨匠」がずらりと目次に名を現しました。

人気作家・大物作家が、週刊5誌中万年ビリの少年キングには描いてくれなかった、というのは有名な話ですが、フレッシュな新人もなかなか発掘できなかったキングは、作家起用では、常に苦戦していました。

しかし、望月三起也、荘司としおにかわる強力な柱、「銀河鉄道999」松本零士、「まんが道」藤子不二雄、「5五の龍」つのだじろうが登場したのも、またこの時期だったのです。

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