おバカ社員奮闘記 地区長編③

いよいよ地獄の1丁目

各マネージャーにはポケットベルが与えられていて、ピーピーうるさかったのですが、今度は携帯電話を
持たされるようになりました。まだ携帯電話は一般的ではなく、ほとんどの人が持っていなかった頃です。
ちょうど手のひらほどの丸っこい形の電話で丸いヒモ状のアンテナがついていました。電池は板ガムを3枚
重ねたようなぶ厚いニッカド電池を4本入れます。充電して使うのですが、すぐ電池が無くなってしまうので、予備のバッテリーを持ち歩いていました。ポケベル+携帯電話で本社から、また店舗から頻繁に連絡が来ます。

私は店舗のスタッフには、困りごとがあれば例え休日でもいつでも電話をかけてくれ、と言っていました。
というのも、12店舗のうち6店舗が正社員チーフのいないパート店舗でしたから、様々なトラブルが発生
した時に私が対応できるようにするためです。しかしその頃はまだ余裕がありました。のちに店舗数は
どんどん増え、正社員チーフは人件費削減の理由でさらに少なくなっていったからです。ですから週1日は
休日が取れ残業すればきちんと手当が支払われる当時は忙しいといってもまだまだ地獄の入口といったところ
でした。

売上を上げるためには当然ながら工夫をしなければなりません。ただ写真の受付だけしていればいいという店
ではダメなのはこれまでチーフとして経験してきたことです。お客様にとって買い物は楽しくなければならない、お客様が足を止めてくれる売場を作らなくてはならない。そのためにはフィルム、アルバム、フレームだけではなく、腕時計や目覚まし時計、電卓や万歩計といった商品を並べてカメラ売場への目的買い以外のお客様を取り込むようにしました。
腕時計の電池交換を各店のスタッフに教えて実施し、時計バンドも並べて「カメラ・時計売り場」を
標榜できる売場を作っていきました。また、お客様に「あそこの売場は面白そう、いつも何かやってるよ」と
感じてもらうためにセールやキャンペーンの企画は欠かせません。全社的なセールやキャンペーンは本社が
行いますが、店頭販売や催事などは店舗ごとに行うため、地区長である私が企画を作り実施しなければなりません。


そのための企画作り、西友との折衝、取引先との交渉とやることは山ほどあります。仕事量が多いため残業は
当たり前、1日に3~4時間、月に80時間以上の残業をしていました。その当時、残業手当が出るのは給与の等級が低い社員で、年功序列のため若い社員には残業がつけられました。私は地区長ではありましたが、給与の等級では残業のつくクラスだったので、毎月かなりの残業代を受け取っていました。ところが、私に対する残業代が多いことが問題になり、会社は職制によって残業の支払いをする、という仕組みに変えました。

つまり管理職である地区長は管理職手当として月4~5万円払うかわりに、残業代は一切つかないというようになりました。
当然、私の給与は下がりました。S社長は成果主義、実力主義に会社を変えていったため、毎月、毎年必ず予算を達成している私は基本給、能力給、等級がどんどん上がっていきました。
しかし仕事は増えていく一方でしたから、給料が上がっても
あまりうれしくはありませんでした。