おバカ社員奮闘記4 東陽町店

たったひとりで悪戦苦闘

若造チーフが正社員をクビにする

西友東陽町店は地下鉄東西線の東陽町駅から歩いて10分強、高層マンションが並ぶ住宅地にありました。地下1階地上3階の比較的新しい店です。カメラ売場は広く開放的なガラススペースのカート置き場を入ってすぐ左、5坪強の小さな店でした。4尺のカウンターケースと棚什器1台、それでも月商350万円の中規模店です。スタッフはチーフの私と20代半ばの女性正社員のSさんの2人だけ。ひとりが休みの日はとなりの浦安店から応援をもらっていました。

前任者のSさんは引き継ぎのときに妙なことを言いました。「Sだけど朝こねえよ。」
???

開店は朝10時、社員は9時半には売場に入って開店準備をします。この店はとにかくプリントが多く、朝、写真の整理をするだけで大変でした。9時15分ごろに来てレジに釣り銭を入れ、写真の仕上りをチェックすると掃除をする間も無くすぐに開店時間になってしまいます。
初日、2日目、3日目・・・・。
部下のSさんは毎日10時半すぎに眠そうな顔で出勤して来ました。派手な化粧をして太ったSさんは
「おはようございまーす・・・・」とやる気ゼロの挨拶をします。
「いま何時だと思ってんだ!遅刻だぞ!」私は毎日叱りつけました。
しかし効果は全く無く、それからも遅刻は続きました。
「明日は必ず9時半に来い。1分でも遅れたらクビにするからな!」と最終通告をしました。

そして翌日、Sさんは11時近くに出社しました。
「きのう言ったよな。お前はクビだ。退職届は俺が出すから、制服と入店証を事務所にわたして帰れ!」
「わかりました」

Sさんは売場を出て行きました。上司のI部長に報告し、本社のO人事部長に解雇を言いわたした旨を連絡しました。
「バーカ、正社員を勝手にクビにするんじゃねーよ!」O人事部長に叱責されましたが、
「あんな奴を採用したのは誰ですかっ!」と私は反撃しました。
—————従業員2名の店で私はひとりになりました。

イヤ気がさしても体を動かす

3月下旬に祖父が亡くなりました。しかし店では1人だけ。近隣の浦安店、行徳店も人手不足で忌引休は取れず新潟の葬儀には行けませんでした。
通勤は過酷でした。JRから西船橋駅で東西線快速に乗り換えるのですが、この列車が超満員でギュウギュウ詰め。つり革から手を下ろすことも出来ません。満員電車が苦手な私は苦痛のひとことでした。店では写真の受け渡しとカメラ販売でひと息つく間もありません。通常なら4人くらいのスタッフで仕事をする店を1人で全てこなさなければなりません。毎日毎日、機械のように働き、イヤ気が差してきました。もちろんパート社員の求人を出し、人事には正社員の増員を要請しましたが、実を結びませんでした。それでもこれだけお客様が来るのに何もしないのはもったいない、と思うようになりました。時計屋さんのテナントがあるので時計は出来ませんでしたが、電卓や万歩計を並べて、問屋さんから特価のカメラを仕入れ少しでも楽しい売場になるように心掛けました。
お客様が切れると3階の事務所に走り店内放送をして、ダッシュで戻る。1人で3~4人のお客様を同時に相手をしてセール品を売りまくりました。写真用途以外にも使えるオシャレなバッグを中心にアルバム、フレームさらにはメーカー協賛でフィルムのデモンストレーション販売をマネキンさんを呼んで行ないました。目の前のスペースを使ったので清算会計は売場のレジ1台で済みます。ラジカセでエンドレステープをかけて売りまくりました。

夏には会社を上げて「コダックビッグサマーセール」を行ないました。フィルムの拡販だけでは無く同時プリントは当時めずらしかったはがきサイズのプリントをLサイズと同価格にし、大きな写真の良さを体験してもらう企画でした。これも全てのお客様に声掛けをして、はがきサイズの獲得枚数で全店3位に入賞しました。

売上を3割伸ばして店舗経営は順調でしたが、毎日ひとりではさすがにキツくてI部長には異動願を出していました。1人なので、トイレに行くにはカウンターに札を立てて1階の客用トイレに走って行きました。セール期間中には、なんとたまたま視察に来ていたK社長に売場にいてもらい、事務所に店内放送をしに行く、という暴挙までしてしまいました。

1年間、何度も会社を辞めようと思いましたが、なんとか耐えてようやく異動の内示が出ました。東陽町店の最終日、私は西友の送別会に呼んでもらい、花束をいただきました。

そして私の運命を決める次の店、千葉県船橋市の北習志野店に赴任することになりました。