おバカ社員奮闘記3 木更津店

スタッフの大切さに今頃気づく

●見に行って腰抜かす

 「次、木更津な」部長に軽く異動の内示を受けて「面倒だなぁ、遠いなぁ」くらいにしか思いませんでした。内示を受けてからも毎日、部長と昼食に行っていました。そのたびに私を脅すようなことを言うのです。「ずっとKさん、Hちゃんがやってた店だからな。」「すごい在庫だぞ、カメラが何百台あるか分からない」「お前が全部在庫を整理しろよ」-これは大変な店かもしれないぞ、行きたくないなぁ、私は怖じ気づいていました。それでも辞令が出れば行かなければなりません。ある日、部長が巡回にでていた午後、売場をパートさんに頼んで木更津店を見に行きました。稲毛から1時間弱、西友木更津店の1階奥に売場はありました。店長のHさんとパートさんは、なんだこの若造、という顔をしていました。2台の古いガラスケースを見てびっくり、カメラが隙の無いほどギッシリ並んでいました。ショーケース中はカメラで真っ黒。部長の言葉は脅しではありませんでした。ほうほうの体で稲毛店に戻ると、部長が帰って来ていて「何で勝手に行くんだ!」と頭を一発、思い切り殴られました。いつも一緒にいる親しい私には内示を出していましたが、木更津店のHさんには異動を告げていなかったのです。しかし予定通り人事から辞令が出て、私は3月に木更津店に赴任しました。

●女性2人の激しい抵抗

 西友木更津店はJR木更津駅から歩いてすぐ、大通りに面した地下1階、地上8階の大きな店でした。カメラ売場は大通りに面したメインの入り口から入って一番奥、1階の専門店街の中にありました。ちょうど1階フロアの角、となりはクレジットカードのセゾンカウンターでした。古いガラスショーケースは4尺で2台がくの字形に組まれ、その横に棚什器が2台という構成です。前任者のHさんは部長と同年代の大ベテラン、ショップマネージャーで、木更津店には6年いたそうです。その前のKさんは部長の先輩で10年も居たといいます。スタッフは40代の女性Kさんと私と同世代の20代半ばのTさんという女性の2人でした。売場はカメラだけでなく、アルバムも写真額もとにかく在庫が多い。箱が変色した何年前のものか分からない古い商品も多数ありました。

ところで西友木更津店は西友社員の間でひそかに「流刑地」と呼ばれていました。西友の後に通りをはさんだ向かいダイエーが出来て、そのダイエーに押されっ放しで売上は毎年前年割れ、規模が大きいこともあり不採算店で、「あそこに行かされたら出世コースには戻れない」と皆が行きたがらない店だったのです。ダイエー1階にはダイエーフォートの写真コーナーがあり、当時はまだめずらしかったミニラボ(フィルム現像・プリント機)を導入、フィルム同時プリントを55分で仕上げるのが売りでした。しかしカメラは置いていない完全なD.P.E店で、カメラコーナーの私共とは直接は競合しませんでした。

転勤してから、私は2人の女性スタッフに受け入れてもらえませんでした。伝票の置き場所や商品の陳列を動かそうとすると「何するんですかっ!」と怒るのです。大ベテランの店長と長年作り上げてきた売場をポッと出の若手チーフに変えられたくなかったのです。それでも私は勝手に商品の配列を変えていきました。2人は激怒しましたが、「大丈夫、必ず売上を上げる!絶対に結果を出すからまかせて下さい!」半ばケンカ腰で2人に対しました。カメラ売場もずっと前年割れが続く不採算店でした。タンカを切ったからには実際に売って2人を納得させなければなりません。まず、古いアルバム、フレーム、三脚、カメラバックなどすべて半額でさばくことにしました。しかし棚卸表に記載されている商品を半額にすれば原価割れで赤(損)が出てしまいます。そこで本社・商品部のバイヤーに頼み、古い商品を全て棚卸から落としてもらうことにしました。本社に原価を補填してもらうわけです。本社に棚卸伝票のコピーを送ると、あまりに古い商品ということで協力してくれました。「全品半額」の赤札をベタベタ売場に貼り、一週間でぜんぶ処分してしまいました。当然、売上も倍増です。西友では毎週日曜日の開店前に社員食堂で全体朝礼をしていました。はじめて私が出ると、なんとその週の予算達成率が全店1位ということで表彰されたのです。全社員の前で拍手の中、表彰状と副賞の抱え切れない大量のお菓子を西友のK店長から受け取りました。-これは面白い!これからは毎週女性スタッフの2人に交代で出てもらおう!私は次週から2人に出てもらうようにしました。すべて処分してがらんどうになった商品棚には、低価格の電卓や万歩計、特売品のビデオテープやカセットテープを山積にしてお客様が立ち止まる楽しい売場に作りかえました。本当は時計を入れたかったのですが、4階に時計屋さんが入っているので出来ませんでした。毎週、売上は全店1位で、スタッフはうれしそうにお菓子を持って来て、仲の良い専門店街の人たちに配っていました。そうして私は2人から信用を得ることができたのです。売上を上げるって楽しい、うれしい!そう感じてもらうことができました。

●イチかバチかのカメラ大セール

 カメラ在庫をぜんぶ整理しろ、部長に命令されて私は木更津店に来ました。真っ黒なショーケースを前にどうしたものか、とため息が出ました。当時はオートフォーカスの一眼レフカメラが出はじめたころ、なのに私が高校生のころ欲しかったコンタックスのRTSやキャノンのAE-1など古いカメラが大量に売れ残っているのです。現品と棚卸表、カメラ台帳で確認すると在庫は約120台!これまで10台程度しか在庫していない店舗しか経験していないため、目の前は真っ暗になりました。これを20台位まで減らさなければならないのです。1割2割安くしても、売り切る見込みはありませんでした。どうするか、自宅でも通勤電車の中でも考え続けました。これは売場でさばくのは不可能だ、そうだ7階の催事場を借りてカメラのバーゲンセールをするしかない!私はイチかバチかの勝負を仕掛けることに決めました。早速本社の商品部長に電話をして在庫処分の協力をお願いしました。カメラ全ての原価は約300万円、全品半額で売るには150万円の補填を入れてもらわなければなりません。私は熱く商品部長に頼みこみました。温厚かつ慎重なN部長は本社に棚卸表と価格変更伝票を送るよう指示されました。私は窮状を救って欲しい旨の手紙を添えて書類を送りました。一週間後、全部完全に売り切ることを条件にN部長から了解の電話をもらいました。そうなったら後戻り出来ません。西友の担当課長に週末の金土日の3日間、催事場を押えてもらい、さらに歩率(売上から西友に支払うお金、写真は17%、商品は10%)を特別に7%下げてほしいと訴えました。
歩率の変更は店長の決済が必要です。私は課長と一緒に事務所に行き、K店長にお願いしました。大人(たいじん)然とした白髪のK店長は私の願いをきいてくれました。これで安売りが出来ます。親しい問屋、O写真用品のY氏に新聞折り込みチラシ2万部の協賛を、フジのカメラ20台とバック・三脚を併売することを条件に引き受けてもらいました。ずうずうしくY氏に3日間の応援も一緒に。チラシのデザインは私がしました。カメラ全品半額大処分、売り尽くしセール、黄色紙に赤ベタの文字の下品なチラシです。西友のロゴマークを入れるため、販促課長に下書きを持って行くと「閉店セールみたいだな」とイヤミを言われましたが、しぶしぶOKしてくれました。

いよいよ当日、エレベータから続々とお客様が催事場に来られました。バーゲンセールは私と女性スタッフが一人ずつ交代で、そして応援のY氏の3人で売りまくりました。普段からカメラを売り馴れているスタッフは大きな戦力になりました。3日間、売って売って最後の1台まで完全に売り切りました。売上は3日間で360万円。売場1ヶ月の売上です。
イチかバチか、私たちは勝負に勝ちました。次週の朝礼では催事の新記録を作ったとのことで、お菓子のほか3万円の商品券をもらいました。ベテランの女性スタッフKさんは顔を紅潮させて「ちょっと、商品券までくれたよ!」と売場に戻ってきました。商品券は必死に働いてくれた2人に15000円ずつ渡しました。

●それでも別れはくる

 空っぽになったショーケースは感謝の意をこめて商品部長に選んでもらったカメラを20台ほど入れて並べました。そして物流センターに不良在庫になっていたゴンドラ什器のサングラスを導入、500円均一で販売し、ますますカメラ売場のイメージから離れていきました。
「ねえ店長」「ねえねえ店長」2人の女性スタッフは私を頼ってくれるようになり、売場のチームワークは強固になっていきました。3月に木更津店に来て9月まで、売上は前年比150%で毎月予算を達成し、西友の担当課長からも「今月、もうちょっと数字作れない?」と相談されるまでになりました。私は課長に店のルールを変えることを提案しました。それは店内放送です。木更津店では大型店ということで、店内放送は事務所の若い女子社員2人がしていました。「本日はぁ~、西友木更津店にぃ~ご来店くださいましてぇ~ありがとうございまぁ~す。ただいまぁ~地下食品売り場におきましては~…」かわいい女性の声でのんびり放送されても、お客様はお買い得感を感じません。と、いうのが私の意見でした。スーパーなのに活気が無いのです。上品だからいい、というものではありません。担当課長に私自身で店内放送させてくれ、と頼みました。「それはちょっと…。店長がOKしないよ、カメラさんだけがやったら、他の売場もやるって言ってくるかも…」課長はさすがに乗り気薄でした。それからも私はしつこく課長に頼み続けました。すると「店長がやってみな、ってさ」と言ってきました。粘り勝ちでした。タイムセールの企画を作り、事務所でマイクをもちました。2人のアナウンスの女性は複雑な表情をしていました。「本日は、ご来店くださいましてー、誠に誠にありがとうございますっ!只今より1階カメラコーナーにおきましてはー」前の店でも有名だった私の下品な店内放送が全館に鳴りわたりました。走って売場に戻ると、黒山の人だかりでした。しかしルールは変わりませんでした。私ただ1人が例外としてその後も自分の店内放送を認められました。ほかの売場の担当者は店長の許可を得る勇気が無かったようでした。
K社長、N専務も次々に視察に来られました。2人とも事務所に上がりK店長と話していたようですが、何を話したかは教えてくれませんでした。その後も月1度は入口(当売場の左に裏通りに出入りする入り口がありました)でフィルムの店頭販売をして、お客様に飽きられないよう、イベントを仕掛けました。私は社員食堂では昼食をとらず、外の喫茶店に休憩に出ていたので、他の売場の西友の社員やテナントの社員に何を言われているかは知りませんでした。スタッフからも特に聞きません。売上不振で覇気が失われていた人達は、いくらカメラ売場が売上を伸ばしても関心が無いようでした。他から干渉されず、ラジカセでエンドレステープを流すわ、下品な店内放送をするわ、好きなように商売ができました。毎週、店から表彰され、毎月予算は達成して赤字店舗からきちんと利益を出す店に改善して、スタッフも全面的に協力してくれて充実した日々でした。1月に昭和から平成になり、赴任から1年が近づく2月に部長がやって来て、3月に東京の東陽町店への異動を内示されました。スタッフに異動を知らせると、気の強いベテランのKさんがポロポロと涙を流し、Tさんは下を向いてうつむきました。「これからどうなるの?また元に戻っちゃうんですか?」Kさんは泣きながら言いました。「まだ来て1年なのに…」Tさんは言葉を詰まらせました。私も離れるのは残念、このスタッフとなら、もっと店を伸ばすことが出来るのに…。しかし中身の濃い1年間を過ごし、新しい挑戦をしたい気持ちもありました。2人がいたから店も自分も成長することが出来た。正社員チーフになって3店舗目でスタッフの大切さに気付きました。2月末で木更津店を離れ、3月に都内・東陽町店へ移りました。