おバカ社員奮闘記 地区長編⑫

人を育てることはできるか、、、?

カメラのK社から北習志野のNSビルの店舗を引き継ぐことになり、K役員が「プリント工房・習志野台店」
と命名しました。チーフは軌道に乗った市川店のMさんになってもらい、K社のパートさんのうち面接して
残りたいという人にそのまま働いてもらって、また路面店が増えました。しかし20店舗で正社員は
わずか5人、私の負担はもう限界でした。

かつて北習志野店にいたときにアルバイトのKさんを推薦して正社員にしたことがありました。Kさんは
本社に異動になりましたが、私は大きな店のサブからスタートさせ、小さな店のチーフに、そして経験を
積んだら中規模店のチーフにと考えていました。

本社は4年制大学や短大から新入社員を採用することになっていましたが、その人たちは店を経験すること
無く本社勤務になっていました。私はO人事部長に新入社員は必ず店を経験させてキャリアを積んでから、
その人の向き不向きを考慮して本社勤務にすべし、と意見していました。現場を知らない人が本社で
まともな仕事をするのは不可能です、と言っていたのです。しかし会社=社長の方針で販売現場に若い
社員が配属されることはありませんでした。それなら地区でパート社員として採用した若い人を育てて
正社員にしよう、と考えました。

地区の従業員はほとんど女性で、すでに結婚して子供のいるパート社員です。
しかし中には独身で8時間契約のスタッフもいました。その中から優秀でやる気のある人を
正社員にして、ゆくゆくは店のチーフを任せたいと思うようになっていました。候補はすでに考えていて、
高校生アルバイトから卒業後パート社員になった西千葉店のYさんと、銚子店のリーダー的存在のSさんです。
Yさんはとにかく頭の回転が良く行動力がありました。またSさんはしっかりしていて論理的に話せる人
でした。Sさんは銚子の対岸の茨城県に住んでいたので、いずれ転居してもらおうと思っていました。
しかし残念ながらYさんは結婚して他県に移ることになり、そちらの地区長に紹介して異動になりました。
またSさんは鍼灸師を目指して進学するため辞めてしまいました。

本社は人材という点で販売現場に力を入れる気は一切ありませんでした。
それなら自力で地区でチーフを任せられる人材を育成するしかありません。
しかし私はあまりに忙し過ぎました。計画的に人を採用して、信頼のおけるチーフに預けて育ててもらう、
という青写真はありましたが、実現には至りませんでした。そんな中、私が信頼しているO人事部長は
府中センター開発部長という閑職に追いやられ、西友からKという男が転籍してきて人事部長になりました。
こうして、会社のラインの長はすべて西友からの転籍者になり、会社の経営はやがてどんどん悪化していきました。