おバカ社員奮闘記1 幕張店 え? アイドルがやって来た!?
おバカ社員奮闘戦計1 幕張店
●腰掛気分でアルバイト
1983年12月、私は(株)西友フォートサービス稲毛店のアルバイトになった。実は同年4月に入社した雑誌社をわずか半年、10月に辞めてブラブラしているときに西友稲毛店のカメラ売場に「パート・アルバイト募集」のPOPを見て、ここでアルバイトをしながら新しい仕事を探そう、と安易な気持ちで働き始めたのだった。当時私はアトピー性皮膚炎で手のひらと腕の皮がボロボロにむけていたので、白い手袋と写真学校の暗室作業で使っていた白衣という異様な恰好をしていた。仕事はカンタン、フィルムの受付、カメラの販売とこちらは元々写真が専門なので店長やパートさんにあまり教わることも無く、スイスイこなしていた。楽な仕事だなぁ、と思いながら、ヤル気ゼロ、ある日稲毛店を拠点にしていた部長とチーフ(店長)が昼食に行っているときに店番をしていたら、ウトウト居眠りをしてしまった。するとゴン!と頭を殴られた。食事から戻った空手有段者の部長にキツイ一発を食らったのだ。そんないい加減な日々を送っていると、部長が春から幕張店へ移れという。今度はパート社員として1日6~8時間の勤務、社会保険や厚生年金もあるという。まぁ、よく分からないが部長の命令なのでなりゆきで幕張店へ行くことになった。
伝説のパート社員
私が入った会社は西友や西武という"セゾングループ"の一員で、西友などの店内カメラ売場を担当していた。異動した西友幕張店はJR幕張本郷駅から徒歩15分、平屋の小規模なスーパーマーケット。そのレジ横に4尺(120cm)のカウンターケース1台と3尺の棚什器が2台の小さなカメラ売場だった。スタッフは50代のパートさん1人。カウンターケースの中はカメラが3台ほど。2台の什器にはフィルム、使い切りカメラ、アルバムが無造作に並んでいた。月商50万程の会社では最も売上規模の小さな店だった。
ただ、ボーっと立っていてもヒマなので、自分でPOPを書いたり、カメラの台数や商品を増やしたり、稲毛店で扱っていた腕時計やめざまし時計を導入したりして売場を変えていき、売上を上げていった。売上が上がると西友の店長や係長も喜んでくれる。いかにヤル気が無くても少しずつ真面目に仕事をしよう、という気になってくる。そんなある日、担当係長が倉庫が汚いから整理してくれ、と言ってきた。倉庫は店のバックヤードにある1畳ほどのスペースで、乱雑に段ボールが積み上がっていた。翌日は売り場はパートさんに任せて倉庫の整理をはじめた。長い間、誰も手を付けていなかったらしく、ホコリが凄い。段ボールの中身は配らなかった景品や、販促物、棚卸から落とした売り物にならない古い額などで使えるものは少なかった。朝から始めて昼食をはさんで3時ごろまでかかり、エプロンをしていたものの、頭からズボンまでホコリだらけ。手も汗をぬぐった顔もドロドロだ。5時にパートさんが帰った後は閉店まで1人で売場に立たなければならないが、この汚れではどうしようもない。パートさんに話をして幕張駅近くの銭湯に行くことにした。全身を洗ってさっぱりとして店に戻ると、普段寄りつかない部長が、呆れ顔で待っていた。運悪く部長が巡回に来たときに銭湯に行ってきたのだ。「長い間やっているけど営業時間中に風呂に行った奴ははじめてだ!」バカ正直なパートさんは私が銭湯に行ったことを話したのだった。「ちょっとひとっ風呂いってくら!」こいつだけだよ、仕事中に風呂に行ったのは、とこの一件は部長によって販売部各店や、本社の人にまで広まり「伝説」になってしまった
●掟破りの優勝記念セール
売上を上げるコツも分かってきて、仕事にやりがいが出てきた。来たとき月/50万だった売上も70万になり80万になり、100万を超えるようになった。会社でトップの店は1,000万以上売っていたからまだまだ小規模店から脱していなかったが、N専務が、K社長が店を見に来た。どうやって前年の倍の売上にしたのか興味があったようだ。サッカー台(商品を袋に詰める台)の後の催事スペースを借りて「カメラ写真用品バーゲン」を開催し、3日間で60万売り上げたこともあった。1985年の秋、私は社員食堂で西友の人たちと真剣にテレビを見ていた。プロ野球日本シリーズ、この日阪神が西武に勝つと阪神の優勝が決まる。西武ライオンズは西武鉄道の傘下で我々セゾングループとは違うが、経営者が兄弟なので西友はライオンズを応援していた。西武が勝てば優勝記念セールが出来る。大きな稼ぎ時になるのだ。ところで私は小学2年からの熱狂的?タイガースファンだった。商売としては西武が勝ったほうがいいが、個人的には阪神に勝ってほしい。…西武の最後の打者が倒れ阪神の勝ちが決まると、皆あーあ、とため息をついて食堂から仕事に戻って行った。テレビの前でガッツポーズをした私は走って売場に戻ると時計、アルバム、フレームの陳列棚に「半額」の札をつけて、西友の事務所にかけこみ店内放送のマイクを握った。「ただいまよりレジ横カメラコーナーにおきまして、阪神タイガース日本一、優勝記念セールを開催いたします!お買い得品をさらに半額、半額にてご奉仕申し上げます!ぜひこの機会にご利用下さいませ!」また走って売場に戻ると黒山の人だかりだった。ラジカセのスイッチを押し「六甲おろし」をかけた。商品が無くなるまで売りまくった。多分、いや絶対、全国の西友で「タイガース優勝記念セール」をしたのはここだけだった。閉店時に事務所に行くと温厚な西友のY店長が私に言った。「頭も黄色に染めれば。」勝手に非常識なことをした私に精一杯の怒りをぶつけたのだった。
●こんなうれしい日が来るとは!
売上は月/120万になり、やりがいはあったが、まだ他の仕事をしたいという気持ちは変わらなかった。そんなある日、カウンターに立っていると着物姿の大男が4人、自動ドアから入って来た。お相撲さんだっ!4人は店の軽食コーナーに座って注文していた。実は私はまだ小学校に入る前から相撲が好きだった。明武谷、その後陸奥嵐のファンで、このころは大潮(おおしお)の大ファンだった。4人を良く見るとそのうちの1人が、な、なんと大潮関ではないか!私は文具コーナーに走った。色紙を買うと売場のマジックペンを持って大潮関へむかった。「あ、あの、この店の働いている者ですが、大潮さんのファンなんです。サインをしていただけないでしょうか?」あがってどもってしまった。「ああ、いいですよ」大潮関は気軽にペンを走らせてくれた。「あ、ありがとうございますっ!」この仕事をしていて、こんないい日が来るとは。こんな小さなスーパーに自分のアイドル、ヒーローが来てくれるとは!大潮関は幕内と十両を行ったりきたりしていたことから「エレベーター力士」などと呼ばれたが、出場回数第一位の記録は今でも破られていない。
幕張店に来て1年半、部長から「正社員になれ」と言われ池袋のサンシャイン60の42階にある本社に行き、人事部長の面接を受けた。腰掛け気分で入った会社に就職することになってしまった。そして辞令が出て、新検見川店のチーフとして異動することになった。
大潮関(のち武秀親方)色紙、大切にしています!
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