1976年の少年キング
このタイトルはもちろん「1976年のアントニオ猪木(柳沢健・著)」をマネたものです。
1976年(昭和51年)は猪木VSアリ戦で有名ですが、少年マンガの世界では少年ジャンプとチャンピオンが激しく首位を争い、マガジン、サンデーが大家から新しい若手マンガ家に入れ換えて追走しました。そして我が少年キングは大きく離されて最下位を独走。
それは前年1975年の誌面大刷新に大失敗したことに始まります。
少年キングは1975年初頭にそれまで60万部近くまで雑誌を引っ張ってきた多田三郎編集長に変え、ヤングコミックの桑村誠二郎氏を編集長に起用します。多田氏以下副編集長からトップ7人の編集部員を他誌に移す大手術を敢行。桑村編集長は「ワイルド7」「サイクル野郎」「おれとカネやん」の3作品だけ残して他の作品を全て打ち切り、青年誌で描いている作家に入れ換えました。
しかしこれが大失敗。青柳裕介の「鬼やん」以外の新連載作品はまるで人気が無く全滅しました。部数も半減して桑村編集長は更迭されました。しかし失った読者は戻ってきません。
少年画報社は多田氏の前の編集長で編集部長の小林照雄氏に再生を委ねたのです。それが1976年でした。
もちろんこのあたりの大人の事情は後に自分が大人になって知ったこと。中学生の私にはつまらなくなった愛読誌を止めようがどうしようか考えながら半ば惰性で購読を続けていました。
さて小林編集長は早速テコ入れに着手します。「柔道一直線」「ジャイアント台風」「赤き血のイレブン」でヒットを飛ばした成功体験があったのかも知れません。前年に「おれとカネやん」の連載を終了した梶原一騎に新作を依頼し、1976年2号から「悪役天使(画/一大寺鉄=ダイナマイト鉄)」の連載を開始します。
続けてつのだじろうの読み切り連作、「祭りオムニバス」を4号よりスタート。さらに5・6合併号から中城けん(中城健・中城けんたろう)の「GOGO球太」を始め新年からスパートをかけました。
しかし残念ながら、小林氏の期待むなしく「悪役天使」はヒットしませんでした。
少年誌は春休みの発売号にこれからの雑誌を担う力作を投入します。私も楽しみにしていました。春の新連載攻勢は次のとおりです。
18号「野球武芸帳」(いけうち誠一)、同じく18号「透明紳士」(モンキー・パンチ)、
19号「マットの獅子王」(梶原一騎原作・真樹日佐夫構成・小畑しゅんじ画)、
20号「バカうけ用心棒」(関谷ひさし)、同じく20号「ホイキタ110番」(山根あおおに)、
21号「黒帯大将」(佐々木守原作・みね武画)、
23号「番長デカ」(東史郎原作・クス啓画)。
このラインナップでぜひ読みたいと思う大物作家はいませんでした。どうも急ごしらえの印象は否めません。「マットの獅子王」は面白かったのですが、当時のアントニオ猪木の人気の波に乗れずヒットせず。山根あおおに氏は少年週刊誌では全く名前の見ない大ベテランで小林氏が最初に編集長を務めたときに「おやじバンザイ」でヒットを飛ばした人でした。しかしもう昭和51年、チャンピオンでは「がきデカ」に笑いころげているときに、あまりにも古いギャグマンガで少しも笑えませんでした。「番長デカ」に至っては高校生刑事が、ショットガンをブッ放す荒唐無稽なマンガで、絵のあまりの下手さもあり読者は呆れ果てわずか6回で終わりました。子供をバカにしてはいけません!
こうして春のスパートは失敗に終わりました。けれど小林編集長とスタッフは諦めません。32号から巨匠・石ノ森章太郎の大作「ギルガメッシュ」を開始、35号には三たび梶尾一騎を起用して「明日へキックオフ」(前田俊夫画)、さらに36号からはこれも巨匠・横山光輝の「魔界衆」と大物作家で攻勢をかけます。
どれも読ませる作品ではありましたが、ヒットには至りませんでした。
とくに私の大好きなマンガ家である石ノ森章太郎の「ギルガメッシュ」には大いに期待しましたが、ストーリーが複雑すぎて理解するのが難しい作品で心から楽しむ、というわけにはいかず残念でした。
なんとか1975年以前の部数に戻そうと小林編集長以下スタッフの必死が感じられた1976年の誌面でしたが、ヒット作が出ることは無く空回りしている印象が強い少年キングでした。
翌1977年(昭和51年)に馬島進氏に編集長がバトンタッチされ、ようやくヒット作が生まれるようになります。
参考文献
週刊少年キング(少年画報社)
少年なつ漫王18号(アップルBOXクリエート)
別冊宝島288 70年代マンガ大百科/戸田利吉郎氏インタビュー(宝島社)
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