少年キングと永井豪 2
●入魂のスーパーカーマンガ
1977年(昭和52年)、永井豪の週刊少年キング第2弾ストーリーマンガ「炎の鷹」が41号からスタートします。もちろん表紙に巻頭カラーです。このころ少年ジャンプではスーパーカーブームの火付け役になった「サーキットの狼」(池沢さとし)が大人気。そこで編集部は”二匹目のどじょう”を狙いました。起用されたのは永井豪。もちろんマンガ界のトップランナーを自負する永井がこんな話に乗るとは思えません。そう、この作品は「ダイナミックプロ」という永井のプロダクションが請け負った”永井の会社の作品”だったのです。表紙や扉には「永井豪」と大書されていますが、当然、描いているのは別人、蛭田充というマンガ家でした。蛭田は永井のアシスタント第一号であり親友、ということは大人になってから知ったことで当時の読者は「永井豪っていったって、また別人が描いているじゃないか!」と怒りを爆発させました。
「サーキットの狼」が本物のスポーツカーを実名で出し、細やかなスペック(性能)を列記して激しいバトルで少年ファンを熱狂させたのとは全く違い、「炎の鷹」は架空の車がありえない装備・武器で戦う”子供だまし”のマンガでした。子供の目は確かです。そんなニセモノが人気を得るはずもなく、この作品は翌’78年5・6合併号で終了しました。ちなみに蛭田充は少年アクション(双葉社)などで連載マンガを描いている歴としたマンガ家です。何故、蛭田充ではいけないのか?永井豪というマンガ家の名前に頼った安直な編集部の判断には本当に心からガッカリさせられました。
知りたいのは「スーパーカー」なんだようー!!
●誰が描いているのか分からない
’78年5・6号で「炎の鷹」が終了すると間髪入れず9号からギャグマンガ「若バカさま」が開始されます。こちらも作者名は永井豪。前2作は「ダイナミックプロ総力作品」と言い訳めいた「注釈」が付いていましたが、この作品はそれも無し。「永井豪」としかありません。こちらも表紙&巻頭カラーで始まりました。ストーリーマンガで失敗したから今度はギャグマンガで、という編集部の思惑でしたが、残念なことにこれも不人気でした。
お城のお殿様の息子、若様が主人公のギャグマンガでしたが、笑えるところは殿様と奥方のちょっとエッチな会話のみ。ほかはひとつも笑える所が無く、永井がこれまで描いてきた数々の爆笑ギャグマンガとは全く違う低レベルのマンガでした。実はこのマンガ、誰が描いているのか全く分かりません。絵はもちろん、コマ割りもネーム(せりふ)も永井のものとは全然違います。永井の絵に似せたつもりの誰かアシスタントの作品でしょう。永井豪やダイナミックプロを専門に研究している方なら誰が描いたのか特定しているのかも知れませんが、今のところそういう史料を見つけることは出来ませんでした。この作品と赤塚不二夫の「アニマル大戦」は当時のキングラインナップの中でぶっちぎりの不人気。せっかくの永井豪作品なのにどんどん後の頁へ移動して”キングのお荷物”として20回少々で終了しました。読者のこちらは「やれやれ、やっと終わったか」という感想しか持ちませんでした。
どこで笑わせたいの?迷走ギャグ
●編集部が悪いのか、永井豪が悪いのか?
「若バカさま」が終わった後、しばらくして唐突に永井豪のSF読み切りマンガ、「魔神戦車バルドス」が掲載されます。少年キングの永井豪作品を振り返ると、永井自身が描いたのはキング初登場の「スポコンくん」とこの「バルドス」の2作品のみです。ほかの連載3作はすべて他人の執筆でした。当時、少年マンガ界で一番原稿料が高いのは水島新司と永井豪と噂されていました。売れないときから誌面を提供し”少年キングが育てた”水島は’75年新年号の読み切りを最後にキングには描かなくなりました。
もう1人の永井はことごとく別人が描いた作品が掲載されました。こうして見ると編集部がギャラの高い永井自身に描いてもらうことが出来ず、ダイナミックプロとの話し合いで名前だけ使わせてもらう、というやり方しかできなかったのではないか?と推測されます。だとしたら読者を無視した”大人の事情”、読者への裏切りと言われても仕方ありません。永井はこういうプロダクション作品をテレビ誌などに描いていますが、歴とした少年誌ではキングだけです。キングオリジナルの坂本氏は「永井先生が多忙のため」と私に伝えてくれましたが、それは読者には関係の無いことです。「ごしんぼう下さい。」と言われても読者は読まないだけでしょう。結果的にこういう子供だましの行為が、少年キングを二流誌、マイナー誌と定義づけられてしまうことになったのは、キングファンとしては残念でなりません。(敬称は略させていただきました。)
参考文献 週刊少年キング (少年画報社)
少年なつ漫王18(アップルBOXクリエート)
増刊少年キングオリジナル(少年画報社)
少年画報社・坂本晃氏の私信
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