おバカ社員奮闘記 地区長編⑩

極限!超多忙管理職

新店ラッシュは続きDFI西友市川店にアルム市川店が、新開発の亀戸サンストリートにアルム亀戸店が
オープンしました。市川店にはリーダーシップのある北習志野店の女性スタッフMさんをチーフに、また
西千葉店の若手Kさんをサブにしました。店はやっぱり「人」です。銚子店で苦しんでいたので、経験
豊かな人を配置しました。この市川店は40坪もある当社では前代未聞の広大なスペースで、カサを
取るアルバムだけで100アイテム以上の陳列でスペースを埋めました。もちろん時計や電卓など
様々な商品を投入しましたが、あまりに広すぎてスタッフの目が行き届かず万引き被害に悩まされました。
在庫金額があまりに多額で経営効率は悪いものの、Mさん、Kさんを中心にスタッフの努力で売上、利益
ともに予算を達成できていました。
アルム亀戸店はサンストリートというショッピングモールのオープンに伴って出店することになり、
販売部から現地折衝を任されました。サンストリートとの打ち合わせや会議に出席したり事前準備が
大変でした。ここでも販売、商品、企画の担当者とともに一から売場づくりをしました。チーフには
正社員のSさんを任命し、Sさんは開店までの1週間、バックヤードに泊まり込んで作業をしてくれました。

私の担当店舗は18店にもなりました。担当店舗数、売上規模、利益額とも全地区一で、責任は重大、
忙しさも凄まじく、1年365日のうち350日は出勤し1日のスケジュールは分刻みで、正社員チーフの
いる店は月に1~2回しか巡回できませんでした。仕事は山ほどあり、こなせない仕事が残る一方、
ストレスはどんどん溜まっていきました。
当社はグループ内のドラッグストア、朝日メディコと合併し朝日メディックスという会社名になって
いました。ある日、営業会議後、社長秘書が呼びに来ました。社長室に行くと社長がこう言いました。
「おまえの地区はドラッグが無いだろう、楽をしてるんだから千葉の路面店を開発しろ、1年で10店舗
の路面店をオープンしてくれ」「あのう、開発部があるのに私がやるんですか?」「開発は忙しいんだ、
千葉のことはおまえが一番詳しいんだからおまえがやれ」たしかに新しく開発された路面型ドラッグストア
は私の地区には無く担当していませんでした。しかし私ひとりで18店舗を担当し、そのうえ証明写真ボックス
の営業もしていて限界近くまで働いていました。それなのに店舗開発まで...。私は2階の販売部に
降りるとK役員に怒りをブチまけました。「これ以上、どうしろというんですかっ!開発報告書は開発部に
送るんですか?私の上司は誰ですか?」「まあまあ、俺に送れ、俺がなんとかするから」役員になだめられても
怒りは収まりませんでした。しかし社長命令です、やるしかありません。それからは県内の地元銀行、信用金庫、
不動産店を回り、テナント情報を集め、良さそうな物件があれば見に行って、報告書を作ってK役員に送りました。
もちろん店舗の運営・管理・企画、証明写真ボックスの営業もしていました。店舗巡回の頻度は少なくなり、
店舗のスタッフに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。