おバカ社員奮闘記5 北習志野店 前編
おバカ、仕事の面白さに目覚める
●不安20%舌なめずり80%
西友北習志野店は新京成線北習志野駅から歩いて5分、商店街のアーケードの途中にありました。地上3階で西友の中では古い店です。転勤の前から、全店の売上実績を上司のI部長に見せてもらっていて、月商は450万円、ランキングでは全店中10位の売上規模の大きな店でした。前任者はベテランのFさん。新検見川店でも私の前の担当者でした。この人の売場は整理されているものの商品は少なく定番品を何の工夫も無くただ並べているだけ。当社ではベテラン社員が担当する店で20%ほど不安はありましたが、まぁちゃんと売場を作れば売上アップは確実だろう、という自信が8割というところでしょうか。
行ってみると売場は1階の2つある入口の左側、入ってすぐ左で隣のK銀行の通路につながっている最高の立地でした。スペースは約8坪、古いガラスカウンターが3台と棚什器2台、案の定ケースの中はカメラが10台弱、フィルム、アルバム、フレームもありきたりの商品ばかり、このあたりは「在庫は少ないほどよい」というFさんのポリシーなのでしょうか。1階が食料品フロアということで、とにかく人通りが多く例によってカメラ売場には写真を注文するお客様が立ち寄るだけでほとんどの人は素通りです。-もったいない!この売場と場所を見て「これはもしかしたら全店1位の店にできるかも知れない!」とひそかに考えました。売上を分析するとやっぱり写真の構成比が8割。つまりたくさんの人が通って入口に面して便利だから売上が高いだけで売上を倍にすることは十分に可能だ、と私は確信しました。
●忙しいはずなのにのんびり???
スタッフはベテランパート社員の女性Yさん。私と同じ干支でひとまわり年上の女性Kさんの2人。あと夕方の学生アルバイト1名で私を含めて4人の体制です。売場に入ると次々にフィルムを持ってくる方や、写真を引き取りに来る方で忙しい店です。1日100本ほどフィルムの受付がありましたが、前の東陽町店ではすべて1人で仕事をこなしていたので、3人もいれば楽だなぁと思いました。ベテランのYさんは仕事はしますが、頼まないと何もしない人で、Kさんは手がすいた時にノートに何やら書いています。ほら、と見せてくれたのはとても上手なディズニーキャラクターのイラスト。まあ忙しい店といってものんびりしたものです。私はどんどん売場を変えていきました。まず北習志野店には幸い時計売場が無いので、腕時計やめざまし時計を入れました。フィルムや使い切りカメラも増やし、アルバムも営業さんを呼んで定番以外の格安品やめずらしい商品も並べました。この店で良かったのは店の内線電話で店内放送ができることです。事務所まで行かなくても指定の番号を回せば受話器で店内放送ができるのです。これには大いに助かりました。毎日何度も店内放送をしてお客様を呼びこみました。大勢の人が店の前や横を通るのですから、足を止めて売場の商品を見てもらいたい。そのためには楽しい売場を作る必要があります。例えば腕時計はゴンドラ什器に980円均一の時計をぎっしり下げて、お客様が ん?安い、おもしろそう、と見てくれれば買い物の楽しさを味わってもらえます。カメラも全自動の時代でしたが、黒いカメラだけではなく赤や白いカメラも入れてメリハリをつけました。
―用がある人だけが来るという売場ではなく、近くを通った人が安さやセンスの良さに気づいて買い物してもらう、そんな売場を目指して店づくりをしていきました。
思惑どおりにどんどん商品が売れ出して、売上も日を追うごとに増えていきます。思ったことをズバズバ言うKさんは「ただでさえ忙しいのに!」と文句を言われましたが慣れてしまえば大したことはありません。月商は450万から1年で600万になりました。
●全店1位の道は険しい…
電卓、万歩計、デジタル体温計や血圧計まで並べ、カメラ売場は雑貨店のようになっていきました。毎月の予算は楽勝で達成していましたが、月商650万円を越えたあたりで足踏みするようになりました。全店第1位の店は900万以上売っています。
私は当北習志野店より上位の関東地方の店を休日に見に行くことにしました。横須賀店、オズ大泉店、小手指店、赤羽店、水戸西武店…見学した感想は抜群の立地の良さと、北習志野店よりはるかに規模の大きな西友の大型店だったということです。どの店も陳列やPOPはきれいだし、見習う点はありましたが、何か特別変わったことはしていませんでした。店自体の来店客数が倍以上違うのですから正攻法では勝負になりません。こうなったら企画力で勝負をかけるしかありません。西友の担当課長にお願いして、毎月1回は店頭販売をすることにしました。
北習志野店は1階の左右の入り口の間が催事スペースになっています。ここで様々な催事業者が店頭販売をしていました。ここに6尺のワゴン2台分を割り込ませてもらってイベントを打つのです。お取引先さんの協力を得て景品をもらい、マネキンさんの派遣もあり、フィルムと使い切りカメラを販売しました。フジ、コニカ、コダックとメーカーを換えて行いましたが、売上は1日6~8万円。3日間で20万円程度にしかなりませんでした。首位の道は遠く険しい…。何か他の手を考えなければなりませんでした。
●催事を仕掛けて活路を見い出す
北習志野店に赴任して約1年。会社の体制が変わりました。新しく西友からS社長が就任し、販売部も拡大され、6~7店舗毎に地区が出来て当店は新京成常磐地区に入りました。新たにO地区長が上司になりましたが、飄々としたOさんは巡回に来てもアドバイスをくれるわけでも無く、いつもとなりのロッテリアで世間話をして帰っていきました。
売上は700万円弱で伸び悩み、新らたな展開を考えていました。これだけ売上があるとさすがに4人では厳しく、となりの高根台店からパート社員のOさんに移籍してもらい、さらにアルバイトも増やしました。私は狭い売場スペースだけで売上を作ることに限界を感じ、大規模な催事を企画して1度に大きな売上を作ることを考えました。西友北習志野店のとなりにJUJU(ジュジュ)広場という商店会が管理している広いスペースがあります。西友も時たまこの広場を借りて催事をしていました。アーケードの屋根があり雨の日でも使えます。担当の家庭用品課長を通じてこの広場の使用を申しこみました。カメラ写真用品バーゲンと銘打ち、西友から借りたショーケースにカメラを並べ、ほかにアルバム、フレーム、カメラバック、三脚の販売とフィルムのデモ販で1週間の催事を行いました。売上は6日間で約150万。初回としてはまずまずで手ごたえを感じました。ここは人通りの多いアーケードに面していますから、チラシなどの販売促進は必要無く、エンドレステープを流すだけで十分で、コストがかからないのは助かりました。これで味をしめ、「春の時計バーゲン」「ビデオソフトまつり」(当時は映画やアニメのビデオソフトはビデオテープでした。)「世界のアルバムまつり」と年4回ほど大規模な催事を行いました。
相変わらず月に1度は店頭販売をして月商はあと一歩で900万というところまでいき、催事を行った月は1,000万円を越えて年商では全店1位を達成することが出来ました。北習志野店に来て2年目のことです。
●コルセット姿でマイクを握る
チーフの私の上司は地区長でその上には部長がいます。本社には仕入れを担当する商品部があり、企画の担当部署もありました。しかし私は売場の仕入れも催事などの企画もすべてひとりでメーカーや問屋さんと折衝し、上司や本社に相談すること無く行っていました。それは上司や本社を蔑ろにした訳ではなく、組織についての知識が無かったのです。I部長は予算を達成していれば何も言いませんでしたし、本社の人から横ヤリが入ることもありませんでした。しかし本来なら上司の地区長に相談し、仕入れ担当が取引先に交渉。企画担当がどういう手法で売るか考える、というのが筋だったようです。北習志野店が全店売上1位になっても、誰もほめてはくれませんでした。私が何もかも勝手にしていたから、ということももちろんありましたが、利益率の低い商品販売で売上げを作っていたため、利益ではまだ2~3位と1番ではなかった、ということもありました。
2年目の年末にフィルムのワゴンセールをしていたとき、私は帰宅途中で追突事故にあいました。ムチ打ち症と診断され、首にコルセットがつけられました。歳末は全店あげての売り出しで、フィルム時代の当時、お正月の写真を撮るために1年で一番フィルムが売れるときです。私は入院を断り翌朝はタクシーで出勤しました。たしか12月の30日。ワゴンセールでビールケースの上に乗り、ハンドマイクで売りこみをしていると目の前の道路に外車が停まり、私に手を上げています。はて、誰だろう?あまり気に止めず赤い西友の法被を着てコルセットを首に巻いた異様な恰好でマイクを握っていると、ご苦労さん、とスーツを着た人は現れました。それは全国担当者集会で見たS社長でした。社長はマイクでわめく私にいいから、いいからと手で相図をして事務所に上がって行きました。売上1位の20代後半のチーフとはどんな奴なのだろうと興味を持って来店されたのかも知れません。その若い男の変てこな姿を見て社長はどう思ったのでしょうか?
●28歳で地区長になる
春に辞令が出て、新しい地区割で私は「新京成総武地区」の地区長になりました。28歳でした。北習志野店のチーフ兼務で、担当店舗は高根台、新北習志野、幕張、新検見川、西千葉、都賀の7店舗でした。(稲毛、木更津はすでに閉店していました)上司もI部長から埼玉の第2販売部からS部長が異動してきました。
北習志野店のスタッフはパート社員4名アルバイト3名の体制になり、店舗巡回に行けるようになりました。
本社からドイツのアグファフィルムの拡販の指示がありました。日本の総代理店が同じセゾングループの大沢商会になったので、グループで写真を担当する当社が全店で販売することになったのです。当時、大手のフィルムメーカーはフジ・コニカ・コダックの3社で独占していてそこに割り込むのは大変なことだと思われました。全店に銀色のパッケージのアグファフィルムが送り込まれ、フィルム販売量全店NO1の北習志野店では私がネット什器一面をすべてアグファフィルムにして、上部には営業から入手した「AGFA」の電飾看板をつけて派手にアピールしました。スタッフ全員でお客様にも勧め順調に売上を作っていきました。ある日、本社からアグファフィルムのデモ販を北習志野店でしてくれ、と要請がありました。西友の店頭は場所が取れず、担当課長に頼んでJUJU広場の一角を使わせてもらうことになりました。事前にロゴ入りの専用ワゴンと大きなパラソルが2本送られてきました。当日の開店前に髪の長い若い女性が2人やって来ました。「あの、着がえたいので更衣室を貸してもらえませんか?」え?着がえる?よく分かりませんでしたが、内線電話で管理課長の許可を取り、女性スタッフに案内してもらいました。広場で準備していると、パートさんが2人を連れて来ました。-2人の恰好を見てビックリ!シャツと超ミニスカートがひとつになったような、体にピッタリの服を着てハイヒールを履いていたのです。まるで、いや、まさにレースクイーンそのもの。「あんた達、レジは打てるの?販売の手伝いをしてくれるんでしょ?」「いえ、そういうことはしません」「じゃあ何しに来たの?」「アグファフィルムの宣伝です。」私は他社のように普段は学生のアルバイトのマネキンさんが来るものと思っていたので、腰を抜かしそうになりました。大きな白いパラソルの下でニコニコしながらフィルムを持っているだけの2人。「写真の本場、ドイツから上陸のアグファフィルムはいかがですかー?」声を張り上げて販売するのは我々売場のスタッフです。2人に聞いてみると本当に普段はレースクイーンをしている、とのことでした。-いやぁ、金をかけてるなぁ…。写真業界の常識を破る体験は後にも先にもこの1回だけでした。
●目標1,000件!全店1位!に燃える
写真業界で11月12月と言えば、年賀状シーズンです。パソコンはもちろん、携帯すら無い当時、年賀状は老いも若きも必ず出すものでした。当社では写真の年賀状ポストカードと年賀状の印刷の受注に全店最大限の力を入れます。写真屋である以上、ポストカードに注力するのは当然で、問題は年賀状印刷でした。お客様にとってはカメラ売場で印刷を頼むというのはピンと来ません。北習志野店でも前年の受注は200件ほどでした。
その年、本社は他社より約3割も料金の安い北海道の会社S商研の印刷を全店で拡販するよう指示してきました。安さ、というのは一番の魅力です。しかし一年に一度の年賀状です。お客様はデザインの良いもの、多くの種類から選べるもののほうがいいはず、私は本社の指示に逆らい以前から取扱っている大手のM社の商品を拡販することにしました。安いS商研のものより単価が高く、利益率が少し小さくても件数を取れば大きな売上と利益になります。地区全店に指示するのは控え、今年はまず北習志野店で実績を作ろう、目標は前年の5倍の1,000件に設定しました。前年のトップが約400件でしたので、1,000件取れば間違いなく全店1位です。とはいえ、そう簡単に前年の5倍は取れません。私は11月から売場を年賀状一色にすることにしました。まず入口に高さ2メートルの特大看板を設置。これはスチレンボードに赤いラシャ紙を貼り、西友のPOP担当者さんに特大の文字を書いてもらい巨大看板を手作りしました。売場も天井からモビール状にサンプルをぶら下げて、入り口のラジカセからエンドレステープで宣伝を流しました。けれど売場だけではたかが知れています。そこで11月の下旬の1週間、JUJU広場に「年賀状印刷特設カウンター」を出すことにしました。もよりの郵便局に協力依頼をして、あわせて無地の年賀状の販売をしてもらうことにしました。広場に180cmの会議用テーブルを2台置き、折りたたみ椅子を並べ、ポットに熱いお茶を用意して売場スタッフ3人で受付をしました。もちろんエンドレステープを流し、西友の店内放送を繰り返して通行人を集めました。次々にお客様が座ってくださり、特設カウンターは大盛況です。北習志野店の女性スタッフはフル回転で働いてくれました。この企画は大成功。売場でも順調に受注して目標の1,000件を越えて売上は約550万円。利益は約140万円、売上も利益も件数も全店1位を達成しました。そしてこの年の12月、社内で新記録となる月商2000万円の売上を作ることができました。北習志野店、新北習志野店、高根台店の新京成3店で打ち上げをして、みんなの労をねぎらいました。上司のS部長はとても喜んでくれましたが、社長や本社の評価は低かったと伝え聞きました。全店あげてのS商研拡販のはずなのに、M社を扱った北習志野店が第一位では、バイヤーや企画担当者は面目丸つぶれだったようです。しかしS部長や西友のI店長、K課長に喜んでもらえて、それが私のいちばんのご褒美でした。
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