少年キングと神保史郎

「あの子は委員長」で高校生デビュー

「サインはV」(望月あきら・画)や「ガッツジュン」(小畑しゅんじ・画)ほか多数のヒット作のある漫画原作者、神保史郎先生は「少年キング」出身です。

1966年(昭和41年)、当時、都立荒川工業高校の3年生だった神保先生は「あの子は委員長」という小説を「少年キング」編集部に持ち込みました。まだ少年週刊誌にマンガだけではなく、小説や絵物語が載っていたころで、金子一雄編集長は生き生きと学園生活が描かれたこの作品をすぐに「少年キング」に掲載しました。イラストを担当した石井いさみ先生の素晴らしい絵が小説にピッタリ合って、この作品はヒットしました。

 

神保先生はその後、少年画報社に入社し、「少年キング」編集部で編集部員を経験しましたが、しばらくして退職し漫画原作者として活動を開始しました。そして1968年(昭和43年)、「少女フレンド」で「サインはV」の連載をはじめます。この作品がテレビドラマ化され大ヒット、神保先生は人気漫画原作者になりました。

 

神保史郎、「少年キング」に戻る

短期間で売れっ子原作者となった神保先生が、デビユーした「少年キング」ではじめて漫画原作を書いたのが1970年(昭和45年)16号での読み切り作品、「ボインで40」(牧村和美・画)です。そして27号から同コンビでの連載、「はみだし超特急」を開始、さらに翌’71年にはギャグマンガ「ドッキリ5」(日大健児・画)に挑戦、次に44号より、あの有名な「ドッキリ仮面」(日大健児・画)の原作を手掛けます。

(当初は「原作仮面」「まんが仮面」「編集仮面」として匿名で登場しました)スポ根少女マンガ「サインはV」からエッチギャグ「ドッキリ仮面」と原作者としての幅広さを感じさせます。

長編、「おれの甲子園」連載

「ドッキリ仮面」は新人漫画家・日大健児氏がオリジナルで描けるようになると、神保先生は原作を降り、大作野球劇画「おれの甲子園」にチャレンジします。この作品のプロデュースは担当編集者の戸田利吉郎氏(現在、少年画報社代表取締役社長)で、戸田氏と綿密な打ち合わせをして原作を書いたのが神保先生、画はリアルな画風で若手NO1といわれていた、かざま鋭二氏が描くという「少年キング」でマガジンの「巨人の星」を追い抜こう!と力の入った熱血野球マンガでした。スタートしたのは1972年(昭和47年)21号で、私は’74年からキングを購読し始めたので、途中からの読者です。かざま氏の絵の細かい描きこみが尋常ではなく強烈な熱気を感じましたが、小学生の私は主人公・反町になかなか感情移入できず、そのうちに終了してしまいました。のちに私が会社員になり、都内の古書店で全巻をひもで縛られた「おれの甲子園」の単行本を見つけ「おお、単行本、出てたんだ!」と大喜びで「大人買い」しました。(当時はブックオフもアマゾンもありませんでした)この作品を大人になってから完読し、「うーん、これは少年マンガにはちょっと難しいなあ」という感想を持ったものです。

少年キングのレギュラー原作者に

 神保先生は少年、少女各誌に旺盛に作品を発表しながら、キングのレギュラー原作者として次々に新作を執筆していきます。「おれの甲子園」後にキングに掲載された作品は次のとおりです。

 

1973年41号  「9月だズッキン!!」画・まつもと一隆(「おれの甲子園」連載中)

1975年 2号   シリーズ白球は見た①「いだ天」画・増本繁行 監修・近藤唯之

1975年 3号   シリーズ白球は見た②「停電ホームラン」画・浅井まさのぶ 監修・近藤唯之

1975年 4号   シリーズ白球は見た③「志摩供養」画・かざま鋭二 監修・近藤唯之

1975年18~23号 「いただき益」画・やすだたく 原案・華房良輔

1977年 4~40号 「さむらいケンゴ」画・みね武

1980年47~’81年15号 「ホンキートンクまき」画・谷いくお

 

また姉妹誌「少年キング増刊・KINGオリジナル」でも「GO!GO!ミスダンプ」画・関谷ひさし、「ヒット&ラン」画・関谷ひさし、「野球バカ豪球節」画・ダイナマイト鉄 と「少年キング」には負けない面白い作品を発表しています。

果たして納得できていたのか?

 神保史郎先生をインターネットで調べると、その作品の多さ、多彩さに驚かされます。「少年キング」に発表した作品を見ると、どちらかというと編集者が企画したと思われるものが多いように感じます。果たして漫画原作者・神保史郎は自分の書きたかったものが書けたのか?何が書きたかったのか?キャリア後半は漫画原作者を辞めてフリーライターに転向した先生は、原作者人生をこう振り返っています。

「カネのために書いてきた。言いたいこともカネのために辛抱してきたところがある。ボクらは編集者にていよく使われてきたと思う。やはりモノ書きは活字だと思う。マンガは結局、マンガ家のものでしかないということが二十年経ってやっとわかったような気がします」

 

やさしくて、おとなしかった、という神保先生。ひとつひとつの作品もおだやかなものであったように思います。その分、アクの強さや強烈な個性に欠けていたような先生は、残念ながら早逝されました。けれど私たち「少年キング」ファンはキング出身の神保先生を誇りに思います。

参考文献   週刊少年キング         (少年画報社)

       少年キング増刊KINGオリジナル  (少年画報社)

       少年なつ漫王18号       (アップルBOXクリエート)

       少年マンガ大戦争 本間正夫・著 (蒼馬社)

       マンガ界のウラの裏がわかる本 蕪木和夫・著  (ぴいぷる社)