おバカ社員奮闘記 こぼれ話②
証明写真ボックス(証明写真自販機)の自社オリジナル機を全国展開する、
という事業を始めるらしいと部長から聞いたのは、西友フォートサービスから
朝日メディックスに社名変更してしばらくしてからでした。
それまで西友フォートではコニカの証明機を代理店として展開していました。
私は地区長になった北習志野店のころ、近くの日大理工学部の校内にコニカ機
を設置して学生証の写真を撮る学生で大繁盛して成功した体験がありました。
また西友高根台店の店頭、北習志野店横のJ u J u広場にも設置してかなりの
売上を上げていました。
このコニカ機はミニラボの縮小版のような銀塩写真の機械で、現像液などの
補充や月一回の内部ラックの水洗など手のかかる機械でした。
そのころ西友の店頭では日本オートフォートの機械が入っている店舗があり、
先のコニカ機と並び証明写真ボックスの日本二代メーカーでした。
朝日メディックスになってからはじめての全国担当者集会でS社長は全国で
5000台の自社証明写真機を設置して、業界トップになること、実現すれば社員
の給料が倍になること、そのためには全社員が営業マン(ウーマン)になる
ことを述べ高らかに宣言しました。
当社の事業は全国の西友店内のカメラDPEコーナーが主で、同じ業界内とはいえ
全く違う証明写真機事業が成功すれば会社も大きくなり、給料も上がるという
ことで、私はわくわくしたものです。
まず社内に「事業開発部」という部署が新設され、新卒の社員達が配属されま
した。また社員が設置契約を取れば一台25000円の特別手当を支給すると発表
されました。
私たち外回りの仕事をしている地区長(エリアマネージャー)は西友店頭への
新設、オートフォート機、コニカ機からの入れ替え交渉を西友店舗とするよう
に命じられました。
オートフォート機の売上は西友店舗ではサービス課または管理課の売上になっ
ており、朝日メディックスの機械に変えると家庭用品課の売上になるため、
店長への要請だけではなく、管理課、家庭用品課の課長に説明しなければな
らず、それに多少手こずりました。
また機械のない店に新規に置いてもらう場合、場所探しから始めなければなら
ず、これにもかなり苦戦しました。それでも西友への設置は順調に進みました。
しかし西友全店に置いても約300台くらいにしかなりません。
5000台を達成するにはセゾングループ外への設置が絶対必要です。
またそのための事業開発部の新設だったのです。
私たちエリアマネージャーは担当店舗の管理、売上・利益予算の達成が仕事なの
ですが、フリーに動ける立場だったため、グループ外の施設や店舗への積極的な
営業活動が求められました。
私は高校生の頃、ダスキンのモップ営業のアルバイトをしていた経験や、
西友フォートに入社する前にダウン誌の広告営業をしたことがあり、飛び込み
営業も苦にならず、店舗巡回の合間を縫って商店などへの設置を進めていきま
した。しかしほかのエリアマネージャー達はそもそも営業経験などありません。
毎週水曜日の営業会議では、それぞれのエリアマネージャーが証明写真機の営業
活動、設置状況を報告するのですが、成果ゼロのマネージャーばかりで、社長は
かなり苛立っている様子でした。
この証明写真ボックス、当社名「デジフォトくん」は昇華型プリンターを使った
もので、その生産はミニラボ機大手のノーリツ鋼機が請け負っていました。
会社はノーリツとの間で1年に何百台、1カ月に何十台という契約を結んでいると
社内で噂されていました。
肝心の事業開発部は新入社員の集まりで、昨日まで学生だった人たちに、いきな
り街に出て契約を取ってこい、と言われてもそれは無理というものです。
一年に一台も契約が取れず、私の地区に異動になった社員もいました。
事業開発部は社長が思ったようには実績も上げられず、機能しているとはいえ
ない状態でした。
また、この「デジフォトくん」には問題がありました。とにかく故障が多いのです。
あちこちで「調整中」のランプがついた故障機が続出しました。
ところがそれを修理する事業開発部のメンテ担当者が3人しかいないのです。
とても手が足りません。彼等は設置の仕事もしていますし、故障機ばかりでは
取引先の信用も失います。
私が営業した先からも、「故障中なのにあんたの会社は一週間も来ない」
という苦情が携帯にかかってきました。
それなのに会社の倉庫にはノーリツから送られてきた機械が次々と運びこまれ
何百台も出荷待ちになるという状況で、最悪の状態でした。
結局、この事業は失敗に終わり給料もまったく上がりませんでした。
失敗した原因は、証明写真機事業に参入しようという社長の発想は良かったと
思いますが、店舗販売が主たる事業の当社に営業をする社員がいなかった、
そして教育・育成するシステムを作らなかったということです。
さらにメンテなどのバックアップ体制を構築しなかったなど、根本的な事業
体制を上層部が作らなかった、あるいは作れなかったからです。
掲げた旗は良かったのですが、いくら笛を吹いても社員は右往左往するだけか、
無視を決め込んで踊らなかったというのが事実です。
2002年に朝日メディックスが消滅したのち、ノーリツ鋼機は問屋、商社などを
通じて証明写真機を供給していましたが、徐々に縮小して、現在は僅かな台数
が残っているだけのようです。
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