キング最後の赤塚マンガ

「コングおやじ」が終了した後、1978年新年7号から新連載「アニマル大戦」がスタートしました。新年号に表紙にもなったのですから、一応目玉作品としての扱いだったようです。少年キングでは前年77年に松本零士の「銀河鉄道999」、藤子不二雄の「まんが道」の連載が始まり、人気が落ちていた長期連載マンガ「ワイルド7」「サイクル野郎」にかわる柱になる作品が出来つつありました。しかしキングが総力を上げて売り出した「リーゼントカバ」(空飛光一)が不発に終わり、ギャグマンガは依然としてお寒い状況でした。
この77年、78年のキングを引っ張っていたのは柳沢きみおの「すくらんぶるエッグ」で人気のあるギャグ作品はこの1本だけ。そのため近年ヒット作は全く出ていないとはいえ、ビッグネームの赤塚を編集部は起用しました。昭和30年代後半から40年代いっぱい、少年誌のギャグマンガの人気をひとり占めしてきた赤塚ですが、この78年(昭和53年)には全盛期のパワーは完全に失われて”名前だけの大家”となっていたのです。

この「アニマル大戦」は桃太郎をモチーフにしたギャグマングです。しかし私は内容を全く思い出せません。次々に出てくる動物を手下にするというような感じのマンガだったかなあ、くらいの印象しかなく、とにかくつまらない、まったく笑えない、いつの間にか消えていった作品でした。
編集部も最初こそ表紙にもしましたが、その扱いはどんどん悪くなり連載スタートから早々に後ろのページになっていきました。資料によると36号まで連載されていて、約半年は続いたようですが、編集部はよく我慢して載せ続けたと思います。それほど低レベルの作品でした。78年後半からキングは積極的に若手を起用し、赤塚不二夫の作品はこれが最後となりました。

いかに「巨匠」でもすべてがヒットする訳はない・・・

もっと力を入れてくれても良かったのに・・・
サンデー、マガジンではヒット作を描いた赤塚不二夫ですが、キングでは1回もヒットを飛ばすことはできませんでした。この人はとにかく真剣に描く作品とそうでない作品の落差が大きい人でした。週刊誌3誌に連載するのは大変なことですが、たとえ「バカボン」の半分でも力を入れてくれれば良かったのに、と思わずにはいられません。やはり大きな版元(大出版社)と少年画報社のような小出版社に描く作品とでは、力の入り方が違ったように感じます。
もちろんいかに大作家とはいえ、全ての作品がヒットする訳ではありません。どんな一流作家でもヒットする作品はごく一部です。それは分かってはいるのですが、赤塚にはキングの読者の顔を思い浮かべてもう少し真面目に描いてほしかった、というのがキングファンの偽らざる本音です。
(敬称は略させていただきました)

参考文献 週刊少年キング(少年画報社)
     少年なつ漫王18(アップルBOXクリエート)
     別冊宝島288 70年代マンガ大百科(宝島社)