少年キングと赤塚不二夫

●六つ子の出ない「おそ松くん」

赤塚不二夫が少年キングに連載をはじめたのは1972年の「おそ松くん」が最初です。その前にも「風のカラッペ」などを描いていますが、他人(アシスタント?)の作品と思われます。少年画報もキングもずいぶん執筆を依頼してきたようですが、赤塚名義でアシストアントに描かせた作品が少数載っている程度です。
1972年は私はまだキングを購読していませんでしたが、のちに単行本で読むとこのキング版「おそ松くん」にはほとんど主人公の六つ子は出てきません。イヤミとチビ太が主人公のマンガになっています。—-何か理由があるのでしょうか?

まあ、それでも「おそ松くん」は赤塚不二夫のキング連載作品では一番の面白さでしょう。
当店には待合スペースに単行本を置いてあり、よく小学生が読んでいます。この作品は73年末まで約2年間連載されましたから、人気があったと思われます。終了した理由は小学館の重役が赤塚に「おそ松はサンデーの宝だから他誌に描かないでくれ」とネジこまれ、アッサリ折れたことによるようです。

●主人公がいないギャクマンガ

キングの中では人気のあったギャグマンガ「おそ松くん」を失った編集部は赤塚に新連載を依頼します。そして1974年に「山田一郎」とふざけたペンネームで始まったのが「ギャグギゲギョ」です。主人公のキャラクターがいない、毎回違うキャラクターによるギャグマンガは異色であり、野心作といえるかも知れません。
しかし本当のところは知りませんが、単に個性的なキャラクターを思いつかず、行きあたりばったりでスタートしてしまった作品、というのが実際ではないかと推察します。

当時のキングのギャグマンガは「3の3の3」(森田拳次)「タマオキくん」(よこたとくお)といういかにも古い2作品とエッチギャグの「ドッキリ仮面」(日大健児)で、どうも弱いラインナップでしたから、赤塚への編集部の期待は大きかったと思われます。
けっこう面白かったのですが、半年もたずに終了しました。”実験的”なギャグマンガは人気が無かったのでしょうか。同時期に連載されていたマガジンの「天才バカボン」やサンデーの「レッツラゴン」に較べると面白さ、笑いで一段、いや二段は落ちた作品でした。
しかし「キングの赤塚作品」という目で見るとこの「ギャグギゲギョ」までは一定の水準にあったマンガでした。人気の無いマンガはたいてい後半の頁へと移されるものですが、「ギャグギゲギョ」はいつも真ん中より前のページでした。
それを考えると決して人気が無かった訳では無いのかも知れません。
と、すると編集部は何故打ち切ったのか?これも推測ですが、バカボンのパパのように存在感のあるキャラクターを作って大ヒットするマンガを編集部が望んだのかも知れません。

もう、書きなぐり!ヤル気ゼロ?