中古カメラ・総合写真ショップぷりんと工房・小仲台店
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■ 店長 中川 雅哉


・ごあいさつ
はじめまして、ぷりんと工房・小仲台店 店長の中川と申します。当店はおかげさまで19周年を迎えることができました。カメラ・写真・時計のお店にかかわるようになり34年になります。楽しい店づくりを心がけ、皆様のお役に立てるよう日々努めてまいります。どうぞ、これからもお付き合い下さいますようお願い申し上げます。

・経 歴
1983年株式会社西友フォートサービス(のちの朝日メディックス)に入社。幕張店、新検見川店、稲毛店、木更津店、東陽町店、北習志野店でチーフ(店長)を務める(カメラ・時計売り場)

総武地区エリアマネージャー(千葉県・東京都東部)を6年半務め、店舗運営、店舗開発、証明写真機営業に従事 1998年退社

1999年 ぷりんと工房・小仲台店を開店と同時に店長に就任。現在まで同職。

・趣 味
読書、カメラ、車、野球観戦、マンガ研究(70年代の少年キング)

・特 技
マンガ・カメラ・車ともマイナーなものに詳しい

 


はじめてカメラを買ってもらったのは、小学校5年生の誕生日でした。
家族で千葉そごうに行って上層階の(何階かは忘れました)カメラ売り場でコダックのプラスチック製126カメラ「インスタマチック」を両親に買ってもらいました。

126というのはカートリッジ式のフィルムで今でもある110フィルム(ワンテン、ポケットフィルム)の倍くらいの大きさのフィルムです。 フォーマットは確か24ミリ×24ミリの正方形、ましかくの写真が撮れます。当時、コダックとさくら(小西六、のちのコニカ)から、カラーと白黒のフィルムが出ていました。

自分のカメラがうれしくて、人や風景などずいぶん撮りましたが、悲しいことに6年生の臨海学校に持って行き、海に落としてしまいました。海水ですから、当然修理不能です。

落胆している私をみて、母が近所の商店街の写真屋さんで同じ126カメラの「ハリーナ」を買ってくれました。たしか3,500円くらいだったと思います。

中学生になって、中古の一眼レフカメラ「ヤシカTLエレクトロX ITS」を購入してもらうまで、ずっと「コダック・インスタマチック」「ハリーナ」を使っていましたので、わが家にはましかくの写真とネガが大量に眠っています。

やっぱり、子供の頃の「自分のカメラ」「最初のカメラ」はいつまでもおぼえているものですね


 1970年代後半。少年キングは相撲マンガが面白かった。他誌には相撲マンガがなかったので、それが「地方に強い」キングの特色にもなっていたのでしょう。

 1972年、ビッグ錠の「やぐら嵐」に続いて、1974年に原作・吉岡道夫、画・新岡いさおの「ここ一番!」がはじまりました。しかし、この作品は連載途中で突然、誌面から消えました。一切の告知もなく、打ち切りになったのです。当時、この作品を楽しみにしていたので、悲しかったことをおぼえています。

 1974年後半に相撲マンガ第3弾の、原作・吉岡道夫、画・田丸ようすけの「ごっつあん」が短期連載されます。1975年、キングは編集長をかえ、誌面大刷新に挑むも大失敗。これで部数が半減して、のちの休刊につながるわけですが、この年、相撲マンガ第4弾の、原作・吉岡道夫、画・かざま鋭二の「がっぷ力」がスタートしました。しかし、この連載も2回の中断をはさんで、まんが家が浅井まさのぶにかわり、年末には終了してしまいました。

 この「がっぷ力事件」は、かざま氏のマガジン引き抜き説と、原作者とまんが家のケンカ説の2つがあるようですが、作家・編集者とも一切の発言がないので、真相はわかりません。いずれにしても、3回の原作執筆のうち、2回も事実上の未完となった、吉岡道夫氏の無念はいかばかりのことでしょう。

 このことだけでなく「第3の少年週刊誌」少年キングには、マイナーなるがゆえ、不明な点が多く、当事者の先生方、編集者がご健在の今のうちに、研究が進むように願っている次第です。

(7代目編集長・馬島進氏、9代目編集長・戸田利吉郎氏の自伝を、どこかの出版社で出していただけないでしょうか?私が5冊は買いますよ!(笑))

人気作家は描いてくれない?大ベテラン起用について

70年代後半から80年代にかけて、少年週刊誌各誌は有望な若手作家が続々と出てきます。そんな中、わが少年キングは首をひねりたくなるような大ベテランが起用されていきます。

トキワ荘グループのよこたとくおは、キング創刊当初から読み切りや短編連載、テレビ番組のコミカライズで準レギュラー的存在でしたが、60年代後半から誌面に姿を見せなくなりました。

それが、73年より「タマオキくん」で再登場。75年まで地味ながら”ゴマスリギャグ”で、レギュラーの一員になりました。「おれとカネやん」の古城武司も週刊他誌ではすっかり見かけなくなった人です。

75年に誌面刷新に失敗すると、ベテラン起用はエスカレートします。60年代半ばに少年誌から消えた、堀江卓、60年代前半に大人気作家だった、関谷ひさし、赤塚不二夫登場前のユーモアマンガ(まだギャグマンガという言葉はなかった)で全盛期だった山根あおおに、さらにコミカライズの大家の一峰大二も読み切りで登場と、購読しはじめたばかりの少年読者には聞いたことも無い「巨匠」がずらりと目次に名を現しました。

人気作家・大物作家が、週刊5誌中万年ビリの少年キングには描いてくれなかった、というのは有名な話ですが、フレッシュな新人もなかなか発掘できなかったキングは、作家起用では、常に苦戦していました。

しかし、望月三起也、荘司としおにかわる強力な柱、「銀河鉄道999」松本零士、「まんが道」藤子不二雄、「5五の龍」つのだじろうが登場したのも、またこの時期だったのです。

少年キングについて、時々つぶやいています。ツイッターもよろしければごらん下さい

 

■ アドバイザー 永野 陽子


・ごあいさつ
こちらのお店にお世話になり、10年以上になりました。毎日お客様のあたたかいご支援でここまで続けて来られました。これからも、ヤングママから中高年のシニアの方まで楽しくお話をさせていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

・趣 味
洋裁、読書、新聞

・特 技
洋裁教員資格