おバカ社員奮闘記 地区長編⑱

社長に直訴して退社する

社長のお伴である商談に行った帰りの車で私は「あまりオーバーなことを言うとマズイですよ」と
余計な忠告をしてしまいました。社長は「停めろ!」と言い車を降りタクシーを拾っていってしまいました。
社長が商談でどんなに話を「盛って」も、大げさなことやオーバーな話をしても、一マネージャーである
私に注意されては激怒するのは当然です。しかし、現状では夢物語のようなことを、さも計画進行中の
ように、責任ある立場の人に話をするのはさすがに問題がある、と思ってしまったのです。

社長の怒りは3か月後の人事で現れました。私は地区長の職を解かれ、北習志野店のチーフに降格されました。
しかし北習志野店にはHくんというチーフがいます。つまり私は宙に浮いてしまいました。K部長に千葉の
店舗開発をやれ、と言われ、プリント工房・習志野台店を事務所にして、県内を回る仕事をするようになりました。
開発報告書を毎週K役員に送り、とにかく新しい路面店を出そうと努力しました。習志野台店の売場づくりをして
売上をあげ、路面店のモデル店舗になるように売場写真を本社に送ることもしていました。するとある日、
K部長に代わって部長になったMという人に、自宅から片道3時間以上かかる店への異動を命じられました。

そのころ私の家族に国内で約300例くらいしか症例がない希少難病にかかっている者がいて、大学病院に
入院中でした。その病気はC大学が日本で唯一研究治療していて、家族で看病をしていました。そういう事情
から遠方への転勤は出来ません、と断ると、Mは「仕事を取るか家族を取るかふたつにひとつだ」「家族を
取るなら会社を辞めろ」と言ってきました。このMという男は西友で長く当社担当バイヤーをしていた人物
でした。私は迷わず家族を取ることに決めました。退社の手続き中、人事部長のKに「自己都合退職になります」
と言われたので、「お前らが辞めさせようとしたんじゃないか!会社都合に決まってるだろ!」と怒鳴りつけて
やりました。「出るところに出ようじゃないか!」とKに言うと、検討させてください、と言われ、しばらくして
怯えた声で「か、会社都合にします」と電話がありました。会社都合なら退社翌月から雇用保険から失業手当が
出ます。それよりも、あからさまないやがらせ人事で辞めるというのに自己都合にされるのは絶対に会社を
許せなかったからです。私は会社の問題点と、このままでは近いうちに会社は消滅する、という内容の手紙を
書き、それをもって本社の社長に退社の挨拶に行きました。しかし社長は会ってくれず、手紙を託して帰って
きました。こうして15年半の西友フォートサービス(朝日メディックス)の会社人生は終わりました。
そして2年後、セゾングループは消滅し、当社も商社に売られて部門ごとに解体され、写真部門を引き取った
会社はデジタル化の波に飲まれて倒産しました。このような末路は2年前、私が社長に書いた手紙のとおりでした。
社員を大切にしない会社は消えてしまう、必ず倒産する、というのがその内容でした。

                    (完)